新植民地主義に狂奔する韓日左翼

植民地主義に狂奔する左翼

制裁論を超えて」という本を読むと、現在の左翼が何を好んで読んでいるかがわかる。 それぞれに、その好む理由が記されている。  

 1.拉致異論 太田昌国著 2003太田出版  

 当時法政大学講師で、反差別国際運動事務局次長、グアテマラ先住民族コミュニティプロジェクト参加者であった藤岡美恵子は、太田昌国の「拉致異論」を高く評価する理由を次のように言う。  

 「日本人が拉致を根拠に北朝鮮を批判するのは、過去の朝鮮人に対する植民地支配に対する反省が足りないからだ」という主張は説得力ある、と。

 ※バカらしいではないか。植民地支配を反省すれば、「横田めぐみさんをはじめ、多数の普通の生活者がごく普通の人生を破壊されて、北朝鮮に誘拐されている事について、口をつぐまなければならない事になるのだろうか。  

 藤岡美恵子と太田昌国の二人がどうかしているのは、「本来個々に責任を追及すべき国家犯罪」という言葉に現れている。  

 ※北朝鮮について、責任を追及すべき何もありはしない。拉致被害者を帰らせればそれでいいのである。同じように、日本に対して植民地支配を追及しても、何の意味もない。徒労である。

 なぜなら、大韓帝国併合とは、「両班という特権階層が残虐非道に奴隷を酷使していた暗黒の社会であり、日本は朝鮮の奴隷を救った」という事実抜きに、当時の日本と朝鮮半島の関係を語ることはできないからだ。  

 藤岡美恵子は、日本の「進歩派」知識人が植民地主義からの脱却という課題に十分に取り組んで来なかった」と書いている。課題もへちまもあるまい。もはや半島に関わりたくないのが本音なのだから、脱却などする必要がなく、こりごりしているのだ。

 2.「継続する植民地主義」岩崎稔・李孝徳共著  

 同じく藤岡美恵子の解説によると、この本が主張するのは、

  

「1945年以後の日本社会が植民地主義と戦争の継続を踏み台にして成立している。」  

 そして、「日本人は当事者としての責任が問われている。」とする。  

 ※たぶん、岩崎稔や李孝徳の言いたい事は、日本が朝鮮戦争で経済成長をしたということなのだろう。しかし、朝鮮戦争とは、まず第一義的に、朝鮮人がはじめて、韓国人が受けて立ち、国連軍がいい迷惑を被った戦争なのである。朝鮮民族が勝手に血みどろの戦争をはじめた事について、日本やアメリカに批判の矛先を向ける愚にだれがつきあえよう。日本が物資を供給し、アメリカ軍が多くの青年の命をも犠牲にして戦わねば、今頃、半島全体が金正恩に支配されていただけのことである。  

 おまけに、藤岡美恵子は、在日朝鮮人女性にとっての家族・国家・民族の意味を考える事は、植民地主義を複眼的に理解するために重要だと言う。  

 ※殖民地主義などは、現在の日本にまったく関わりがない、「主義」とは、植民地したいという意志、方針を示すが、現代日本は他国を植民地したいという考えと無縁であるから、なんの課題にもなりえない。  

 3.「人種差別」アルベール・メンミ  

 藤岡美恵子によると、この本の著者は、フランス植民地下のチュニジアユダヤ人の父とベルベル人の母親の子として生まれた。  

 バカらしいのは、藤岡美恵子が次のように言っていることだ。  

 「日本に人種差別はないと思っている人にぜひ読んでもらいたい」と。

   藤岡美恵子は勘違いしているのではないだろうか。

   韓国にも人種差別意識はあるし、英国、ドイツ、フランス、アメリカにも人種差別意識はあり、日本にも、嫌韓流のように、人種差別意識はあるが、日本は他国に比べて、確実に、人種差別意識は低い。日本に人種差別はない、と言い張るのは、間抜けなのである。  

 重要なのは、ご多聞にもれず、人種差別意識はあるが、比較相対的には、日本人の人種差別意識は他国と比べて低いということである。また、フランス人の根深い人種差別を知っても、まるで日本人の他国人への差別意識を知るきっかけにはならない。

  

 4.「在満少国民」の20世紀 平和と人権の語り部として 吉岡数子著

   

 吉岡数子は子供時代、父親のしごとの関係で、朝鮮半島満洲で育った。

  呆れるのは、吉岡が「子どもであっても、植民地にいた自分は加害者であった」と言うのである。  

 ※吉岡はバカではないのか?植民地に暮らしていただけで、宗主国側の子どもが加害者だという事はまったくない。

  

 この本を推薦しているのは、イ・ヒジャという1956年、大阪生まれの在日韓国人なのだが、まるで、この世界には、植民地という被害しか存在しないという思い込みに立っている。  

 朝鮮民族は、仮に日本とまったく関わりがなかったとしても、モンゴルに蹂躙され、後金族に蹂躙されたし、朝鮮民族両班朝鮮民族奴婢がこき使われていた。これが、朝鮮民族の民衆にとって、大きな桎梏であった事実を否定できない以上、その時代加害者は、イ・ヒジの言う通りなら、モンゴルの子ども、後金の子ども、両班の子どもという事になってしまう。  

 また、イギリスの貴族、王族の子どもたちは、被植民地国の民衆に対する加害者ということになってしまい、吉岡やイ・ヒジャのように、「子どもといえども加害者」という視点を普遍化すると、世界には、ものすごい数の罪障感を持たねばならない子どもが存在することになる。吉岡は勝手に妄想すればいいものを、「自分は加害者」と言わずに、その当時、子どもだった者すべてを加害者だと言い張る。

 要するに子どもが加害者、現代日本人の高齢者が加害者だというトリックである。  

 ※呆れることに、植民地下における日本人の恵まれた生活が現地の人びとの抑圧の上に成り立っていた、と主張する。  

 間違いである。まるで日本人は豊かで、朝鮮人は皆貧しいように虚偽を書いているが、実際には、どこの植民地でもなかったにもかかわらず、日本の東北、北海道、九州の農民は非常に貧しかったし、ロシアの農奴、アメリカの農民も大地主以外は、多くが貧しかった。また、韓国の国民文学「土地」に描かれるように、韓国には、大土地地主がいて、奴婢出身の下働きをこきつかって苦しめていた。  

 けっして、韓国・朝鮮民衆の苦しみは、日本からの被害ではなく、朝鮮両班の過酷な支配によるものであることは、韓国の国民文学「土地」が、ちゃんと書いているのである。  

 5.「帝国日本の植民地社会事業政策研究」 大友昌子著

 イ・ヒジャは、「吉田茂が、日本は朝鮮に善政を施したにもかかわらず、朝鮮人は日本を憎んでいる、と言ったから、吉田茂は朝鮮嫌いだ」と書いている。  

 「日本は朝鮮に善政を施した」と判断するのは、「朝鮮が嫌い」だから、というのだ。  

 そんなことを言ったら、英国は、香港に善政を施したと判断する英国人は多いので、多くの英国人は香港嫌いだという事になろう。  

 世界のどんな政治も万能の政治はないという前提で、アメリカはハワイやグアムはアメリカ施政下でよかったと信じているだろうし、英国は、中国本土よりも、香港は英国施政下にあったからこそ、香港の住民は中国本土で暮らすよりも、比較的ましだった、と判断している。同じように、まぎれもなく、韓国は、日本の影響下にあった事が、人口が増え、寿命が伸びた。それが事実である。  

 6.「戦争と罪責」野田正彰 1998  

 在日コリアン青年連合のキム・プンアンは、富山県生まれの在日三世。東京大学工学系大学院博士過程・・・は、野田正彰の「罪と罪責」を推奨する。  

 ※わたしは、この本を読んだことがあるが、戦争と個人の罪障感を結びつける事に血道をあげる点で、左翼の典型的発想を持つ。  

 戦争や植民地に罪責感を感じ、悩み苦しみ、もだえればもだえるほど、将来の戦争がなくなると思っているのだ。じつに、バカらしい。このような発想では、戦争経験世代が寿命を迎えて、まったく、戦争や植民地を実体験として持たない世代ばかりになった時、また、戦争が起きるとしか考えられないことになる。 

戦争の罪責感を戦争を抑止する事に結びつけることにまったく意味はない。  

 7.「9・11ジェネレーション」岡崎玲子  

 岡崎玲子は、9・11同時多発テロの際、アメリカの名門高校に在学していて、クラスメイトたちが、「報復」を支持する光景を見て、愚にもつかない考察を書き散らす。  

 1993年のイスラエルパレスチナ間の「オスロ合意」や、常備軍を廃止したコスタリカ憲法に学ぶべきだ、と言うのである。  

 ※実際には、イスラエルパレスチナは、いまだに、交戦を続けている。

  また、9・11テロ攻撃を受けたアメリカについて、常備軍を廃止せよ、と主張したら、アメリカ国内で笑われるのが、オチだろう。  

 8.「韓洪九の韓国現代史」

 在日コリアン青年連合のキム・プンアンは、韓洪九が、韓国史にしては、非常に珍しく、韓国人自身が売国的行動のたぶんに見られた歴史を反省するべきだ、と書いている事に対して、韓国の学者は韓国の歴史を内省しているのに、それに比べて、日本は、「自虐史観」などとして、反省を退けられる風潮がある、と書いている。

 日本においては、自虐史観は、けっして退けられてはおらず、マス・メディア、教科書の常識、主流となっているのであり、自虐史観を批判する側は「歴史修正主義者」と呼ばれており、韓国では、民族主義が主流で、韓洪九のように、韓国自身も内省すべきだというのは、少数派だというのが実である。  

 9.「朝鮮人強制連行の記録」朴慶植 1965年  

 北海道ピースネット」事務局の左翼ゴロつきの越田清和は、この古典的歴史捏造書を大まじめに推奨する。  

 アメリカには、カリブ諸島、南米諸国、ヨーロッパ各国の人びとなど、多くの国から、移民が渡って職業についたが、それがけっして(黒人奴隷とはちがって)強制連行ではなかったように、日本に来日した朝鮮人強制連行されたことはまったくなかった事実をねじ曲げて、強制連行と言い張った奇書が、「朝鮮人強制連行の記録」である。  

戦争体験の無い世代の「植民地主義批判」への固執は、元来のマルクス主義への無知と理解の無さ、そして、先進資本主義国における労働者による資本主義打倒の夢が不可能と思えてきたところから来た苦し紛れの屁理屈である  

 彼らは、なぜ旧左翼のスローガンに「万国の労働者よ、団結せよ」という言葉があったのかというその理由さえ、もはや理解できないし、それを言った途端、自己矛盾に陥る。すでに鬼籍に入った進歩的知識人が呆れ返るような幼稚なホラを吹いている。  

 たとえば、日本の左翼作家の代表的な存在のひとり、大西巨人は、「軍隊内階級対立」という事を言ったが、大西巨人の言う「軍隊内階級対立」・・・すなわち、娑婆の世界での、資本家の息子や、被差別地域出身の息子の階級差が軍隊の中でも、機能する、という観点を、もし、植民地批判にこだわる左翼が、採用した途端、韓国にも、朝鮮にも、英国にも、フランスにも、それぞれ、出身階級別の差別が存在することに注目せざるを得なくなるし、あるいは、中国では、漢民族によるチベット、ウィグル差別に注目せざるを得なくなる。  

 そこに注目すれば、日本人は加害者、韓国人は被害者という構図が怪しくなってくるし、日本人は加害者、沖縄県民は被害者という構図もまた揺らいできて、ひょっとすると、国会議員たる民主党の議員や共産党の議員も、国家権力に属する一種の支配階級ではないのか、と疑いが生じてくるのが困るから、是が非でも、植民地主義固執する。  

 だが、結局は、その根にあるのは、日本、アメリカなどの先進資本主義国の社会主義政権確立がどうやら無理らしいという予感を持ち、かといって、自力でもう一度、マルクスのような孤独孤立の思想作るこらえ性もないから、思想のキセルをして、植民地主義批判、反原発、日本の戦争犯罪などと架空のイシューにしがみつかざるを得ないでいる。

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