北朝鮮はどのように日本人を北朝鮮寄りに思想工作したか

北朝鮮はどのように日本人を北朝鮮よりに思想工作したか

 

  1968年北朝鮮帰国者のうちの日本共産党党員を金日成が粛清処刑した。

 1956年には、日本共産党朝鮮労働党祝賀大会に祝辞を送っている。

 

 1959年には、日本共産党書記長宮本顕治北朝鮮を訪問して、日米安保体制否定の活動について、共闘を確認している。

 そこで、共同声明を出し、韓国からの米軍撤退を主張した。

 1961年にも、宮本顕治が訪朝、「北朝鮮の建設は世界とアジアの平和維持に大きな貢献を果たす」と発言。

 

 当時在日朝鮮人北朝鮮への帰国運動が盛んに行われていたが、これを「日本民主勢力の協力の勝利」と発言している。

 

 1964年には、日本共産党の代表団を送り、日韓協定反対運動を確認。

 

 1966年には、宮本書記長訪朝

 

 宮本顕治は「在日朝鮮人小説家の金達寿キムダルスが仲介してくれた、と語った。

 

 金達寿は、日本国内において小説「玄界灘」を書き、日本人、および在日朝鮮人金日成は悪の日本帝国主義に抗日した英雄だという妄想を吹き込んだ。

 

 1955年に朝鮮総連が結成されたとき、日本共産党幹部および党員の在日朝鮮人は、日本国籍をとって、日本共産党に方針に関与し続ける者と、日本国籍をとらずに、朝鮮総連の拡大に邁進する者との二つに分かれた。

 

 金達寿の場合は、朝鮮籍のままで、日本共産党系の「民主文学」に寄稿し続けた。

 

 金達寿は、日本人共産党員に金日成の正当化された人物像を植え付ける工作を、あえて日本の共産党系「民主文学」に肩入れし続けることで、成果をあげようと画策し続けた。

 

 この工作を支援したのが、日本共産党党員の巣食う「岩波書店」で、岩波新書「朝鮮」が出版され、教養の岩波の看板のもと、日本の学生の多くが金達寿北朝鮮正当化の論理を吹き込まれた。

 

 1955年朝鮮戦争休戦協定成立から11日目、北朝鮮南朝鮮労働党出身の党幹部を7名死刑に処している。

 5名は重懲役刑の政治犯収容所へ移送された。

 

 日本でこのような政治権力闘争で、見解の異なる政治家を死刑に処するという例はないが、北朝鮮はすでにこのころから盛んに権力闘争の相手を死刑に処してきたが、日本のリベラル知識人、および旧社会党日本共産党国会議員らは、北朝鮮を擁護し続けてきた。

 

 北朝鮮はこうした「処刑’について、已むをえないもの、正当なのものと日本の在日朝鮮人に納得させて、日本で稼いだ金を北朝鮮に送金させるために、次のような工作活動を行った。

 

 「朝鮮労働党宣伝機関」が「政治学校用参考資料」を作成して、朝鮮総連に送付。朝鮮総連幹部はこれを拳拳服膺したのである。

 

政治学校用参考資料」には、「南朝鮮労働党出身の朴憲永らの処刑の理由は、米軍の仁川上陸作戦に呼応して、北朝鮮内部で暴動を画策していたからだ」と書かれていた。

 

 特に「南進すれば、南の労働党員が呼応して、武力解放は実現すると、できもしない事を言った」と、金日成の判断の間違いを公然と朴憲永らになすりつけていたのである。

 

 朝鮮人両班の権力闘争さながらの謀略、うそによる競争相手の陥れによって、政敵の生命を抹殺したのである。

 

 朝鮮労働党は、朝鮮総連傘下の在日朝鮮人だけではなく、日本人も、北朝鮮善玉観を持ってもらうことが、日本国内の朝鮮人の立場を強化し、稼いだ金品を北朝鮮に豊富に送るために必要だし、韓国との協調を防止して、韓国の発展を阻止するためにも、

必要だと考えた。

 

 そのために、宮本顕治日本共産党党員編集者ルートを使って、松本清張中央公論編集者に働きかけて、(北朝鮮の作成した資料を松本清張に提供)。

 こうして松本清張は、中央公論誌上に「北の詩人」を連載する。1964年刊行。 その内容は、米軍情報機関と通じた在日本米国人の牧師にスパイに仕上げられた在日の詩人、林和が北朝鮮に帰国するが、米帝国主義への通謀がばれて処刑されるというものである。

 

 こうして、松本清張中央公論を通じて、北朝鮮工作機関は、日本人に、米国の非道な謀略ゆえに、スパイに誘い込まれた在日朝鮮人が数多く、悲劇的に、北朝鮮で処刑された。

 それはけっして、朝鮮民主主義人民共和国が悪いのではなく、米帝国主義が悪辣だからだ、という宣伝を推し進めていった。

 現在でも、この「北の詩人」を検索すると、松本清張の傑作と信じている者が少なからずいる。

 

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戦前日本の治安維持法時代の実相

戦前戦中の日本の実相

 日本共産党ソ連の誤りは我々が以前から指摘していたことだった、などと言っているが、戦前日本共産党の武装闘争指令も、武装闘争をやめろという指令も、天皇制を打倒せよという指令も皆、他ならぬソ連が日本に指導したもので、それを鵜呑みしたのが日本共産党だった。

 その組織が現在に至るも続いているのが、日本共産党である。

 現在街頭で日本共産党員として演説している者たちは、皆、不破書記長の言葉の、内容も口調も酷似して、物真似大会みたいなのは、彼ら共産党民主集中制原則が、党中央の批判を許さない言論統制体質だからである。

 日本共産党や旧社会党系の民進党員、社民党員は、口を開けば「治安維持法」を非難するが、実態は、日本は世界各国の政治犯弾圧拷問に比べると、非常に温情のある対応を、日本の特別高等警察はしていた。

 小林多喜二の場合は、むしろ例外なのであるが、その例外について日本共産党は鬼の首でもとったように言い立てるのである。

 当時小林多喜二のような共産党員を自由に思う存分に活動させていたなら、日本は確実に、中国、北朝鮮ソ連エチオピアカンボジアのように、大地主、財閥一家を皆殺しにして計画経済社会になって、餓死者が多数出ていただろう。

 朴烈という在日朝鮮人なんて、辛淑玉姜尚中徐京植なんかとちがって、死ぬ覚悟を決めて、摂政宮に爆弾を投げつける計画を立てて捕まったが、日本の警察権力はやさしいもんだから、本人が共産主義はやめた、と申し出ただけで、無期懲役に変更した。

 しかも、実際は、絶対、刑務所から出してやらんぞなんていう無期懲役ではない。

 結局、実際は、看守がようかんを食べさせてあげたりというようなこともあり、敗戦後は、戦後の反マルクス主義者の田中清玄が身元引受人になって、在日朝鮮人の朴烈氏を刑務所から自由の身にして生活の面倒を見てあげた。

 朴烈氏は、辛淑玉姜尚中徐京植なんかとちがって、死ぬ覚悟のある義のある朝鮮人だったから、北朝鮮に行って、韓国との統一を説得する、と言って、田中清玄に礼をした後、北朝鮮に行ったのだが、処刑されてしまった。

 

 いま、日本で日本批判をしている辛淑玉姜尚中徐京植なんかも、朴烈氏のように命をかける覚悟があるなら、北朝鮮で処刑されたあとに、せめて韓国人、在日朝鮮人に覚醒を促すのに、役立とうけれども、現代はまったく朴烈氏のような偉大な必死の人物は絶えてなくなってしまった。

 皆、日本の大学に寄生して、高給を受け取って、日本社会の豊かな生活を享受しながら、いい気な言論活動をしているばかりである。

 戦前の治安維持法がいかにゆるかったか。

 たとえば以下のような例は枚挙にいとまない。

 小宮山新一は東大卒業で定年時は川崎の高津保健所所長だったが、小宮山は、青年の時、親に対して「革命運動をして、日本に社会主義革命を成功させれば、今のようなひどい不平等な世の中はなくなるんだ、みんながしあわせになるんだから」と言って、東大の学業を放擲して共産党の地下活動に入ったが、特高に検挙される。

 しかし、ちょうど同じ時期に病気になると、日本の特高はなんとやさしいことに、保釈してあげるのである。

 そして、千葉の思想犯の改心道場のような修養施設に行って、そこを通して、東大の復学を世話してもらう。

 なんのことはない、その後、東大小石川分院の助手、青森県の組合病院院長、東京中野の組合病院院長、そして定年を保健所所長として平凡に終えている。

 共産主義国ソ連、中国、北朝鮮ならたちまち政治犯収容所で処刑だろう。

 若月俊一は1971年にマグサイサイ賞を受賞した無医村医療に貢献した医師だが、若月俊一もまた、治安維持法逮捕された経験があるが、日本の治安維持法とは、ソ連、中国、北朝鮮政治犯収容所とちがって、けっして人生の終着所ではなかったのである。

 治安維持法で検挙された後は一年間目白署に拘留されたが、社会的に抹殺されるということもなく、1945年には早くも長野県佐久病院院長になっている。

 また、警察署拘置ではなく、刑務所の懲役になると、日本の場合、歴史書、宗教書をかなり豊富に読む事が可能だった。

 この条件が、日本共産党の幹部党員を刑務所懲役中に、マルクス主義はやはり間違っている、と考え直すきっかけにもなった。

 これなども、中国、北朝鮮、韓国の政治犯に悠長に仏教関係の書物や歴史書を読みたいからといって読ませるだろうか。

 日本の刑務所では、禅宗の老師に刑務所で講演をしてもらって、収容者に聞かせて人生を考えてもらうということもしていたのである。

 血盟団事件の被告、四元義隆と共産党委員長の田中清玄に向かって、玄峰老師は言ったという。

 「世の中をああしよう、こうしようという、あんたは自分自身がなんであるか、わかっていなさるか。」

「あんたはけったいな人やなあ。自分自身がなんであるかわからなくてどうして人のことがわかるんや。どうして世の中がいいか悪いか、わかるんや。どうして人の道がわかるんや。けったいな人やなあ。」

そもそも自由と平等は両立せんのじゃ。考えてもみよ。

 ゆっくりと書物を読むのも、自由だ。世界一周旅行するのも、アフリカの秘境に行くのも楽しい自由だが、みんな金がいる。

 その自由の希望を、平等の皆が皆、かなえてくれろと主張したら、どうなる。

 平等にな。そしたら、あんたの希望もわかるあんたの希望もわかる。みんな平等にかなえてあげたいから、近場でがまんしてくれ、とこうなるいだろ。

 そうじゃなくて、いや、おれはどうしても、パリにいきたいんだ、となったら、わかった、みんなに、金のかかる自由をかなえさせる、平等にな、だが、順番を待ってくれ、それは、平等省が決めるから、とこうなるだろう。

 国家が本当に公平に決められるか?だから、中国、北朝鮮みたいに、結局、党にべったりのものが、自由を満喫できるのや。

 それなら、運のいい奴、努力した奴、親がかしこく貯めたくれた者が自由を享受するほうがいいんじゃないのか、ということになるわな。

 と言って、白隠禅師全集を刑務所にさしいれてくれたという。

 こんな状況が、北朝鮮、韓国、中国、ソ連にありうるだろうか。

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シナ革命戦争史

殷王朝の属国、周の姫昌がチベット系の知識人太公望呂尚を用いて国力を充実させて、その子、姫発初代武王が殷を滅ぼして、周王朝を樹立。

 占いによる統治の時代。

 主殺しとして、伯夷兄弟は周の粟は食べない、とワラビばかり食べて餓死する。

 孔子はこれをほめた。

 この時、封建制度が生まれる。

 周は前256年に滅亡。

 チベット・ウィグル系異民族によって王が殺害される。

 正室を廃して、側室に狂ったので、正室の父に裏切られて、異民族が侵攻。

 元太子を立てて、東周を樹立。

 殷の紂王は妲己だっきにおぼれ、

 周の最後の王は「褒じ」という側室におぼれる。

 その後、太公望呂尚は斉を建国

 江南には、楚があった。

 周時代の諸侯が独立して、「春秋戦国」時代となる。

 「春秋」とは、「魯」の国の年代記の名称から。

 春秋の覇者

 第一号は、

前651年 斉せいの桓公

側近は鮑叔と管仲 管鮑の交わりの語源

管仲死後、ごますり三人組の権力闘争がはじまり、斉せいは衰退。

 

 晋が台頭。

 秦が台頭。晋、秦二大国。

 楚と呉が台頭

呉対楚

呉の勝利 この時、孔子55歳頃

呉の闔閭こうりょ 息子 夫差ふさ

 

伍子胥 楚の平王から血父、兄等一族皆殺しにされて追放された者

後に呉の将軍として楚を破った後、平王の墓をあばいて骸を鞭でうたせたが、その後、後悔して、「日暮れて道遠し。」(齢を重ねても思慮が足りないしがない愚者であった」と述べる。

 

 孫武

 呉を楚の攻略に導くが、伍子胥とともに、越への侵攻に反対して、呉の夫差に追放される。

 ※楚の都を占領したものの、楚の昭王は逃げ延びて、越国に呉を攻めるよう、依頼する。越に攻撃された呉は、越との戦争を決意するが、孫武伍子胥のふたりは、楚との戦いで疲弊しているから、和議するべきと進言。しかし、呉王の闔閭はこの案を拒絶して、越の勾践と激突して、戦死する。

 孫武伍子胥のふたりとも、呉の国の中では、他国生まれの将軍で、常に生粋の呉人からは疑いの目で見られていた。これ、在日帰化人の官僚が日韓交渉、日朝交渉をする場合と同じ。

 

 孫武が去る直前、呉の闔閭は、越の句践率いる軍との交戦中に戦死する。

 呉の夫差は、臥薪して、越への復讐を誓う。

 呉の夫差は、父を殺されて二年後、越を撃破。

 句践は呉の地で命請いの末、奴隷扱いされるが嘗胆して、巻き返しを決意。

 越の美女西施が夫差の側室になる。

 越の范蠡はんれい、文種ぶんしょうなどの賢臣が句践を支える。

 

 呉への服従を装う越の句践、ぶんしょう等にだまされなかったのは、わずかに呉の伍子胥だったが、越の句践は、呉の支配下にある越軍だと夫差に信用させて、一気に呉を滅ぼす。句践が呉に囚われて奴隷になってから、21年後だった。

前494年句践、敗北

前473年句践、呉を滅ぼす

 

 少し以上の状況を言うと、

 この楚に対して呉の闔閭が孫武伍子胥、夫差、ふがいを従えて攻め込む。

 越が呉の闔閭を殺害

 二年後、

 呉が越の句践を捕虜にする。

 越が呉を滅ぼす。夫差は自害

 (中原の晋と南の楚は休戦協定)

 これを統一したのが、紀元前221年秦の始皇帝

 統一の過程で、秦は楚の王朝を滅ぼす。その残党が、楚の項家一族で、秦朝打倒を目指す。

 ちょうど、日本における在日朝鮮人が日本の皇室を滅亡させようと意思しているが如くである。

 ところが、皮肉なことに、項一族は秦朝の打倒へ邁進するのだが、内部抗争の中で、項羽配下の劉邦に信望が集まり、項羽ら、楚復興の悲願に燃える者たちは、遂に敗北し、劉邦が、秦滅亡後の漢王朝の始祖となって、楚王朝の復興はついえるのである。

 「魯」では、前551年、孔子が生まれる。

 孔子が宰相になったことはなく、学派を率いただけ。

老子孔子墨子商鞅孟子荘子、、韓非子荀子の順に生まれている。

 この間、礼と音楽の儒家が浸透する。兼愛、非攻、節倹の墨家は少数派になる。(墨守)の語源。

 韓非子は前233年死去、荀子は前235年死去。こういう時代に、前221年始皇帝が統一シナを建国。

秦の「政」という人物が、前246年に即位。

 前213年焚書坑儒 儒家否定

 その3年後、始皇帝死去

 李斯は長男を始皇帝の娘と結婚させて権力の近づいていたが、始皇帝が病死すると、宦官の趙高の謀略によって、謀反の嫌疑をかけられて一族が処刑されてしまう。 

 

 このころ、ローマとカルタゴの闘争の時代で、カエサル登場の百年前。

 秦の始皇帝とは、13歳で即位して、呂不韋という大商人の後見を受けて育った。

 呂不韋は、秦の始皇帝の実父を秦の王にするよう謀略した人物である。

 秦の敵国であった趙に人質として拘束されていた秦の王の孫、子楚を見かけた呂不韋は、「奇貨居くべし」と、子楚を育ててから、子楚を土台に自分の地位を高める企てをする。

 

 呂不韋は子楚に特に目をかけ、資金を与えて、広く交際させたうえで、秦の安国君の妻に、子楚を後継者にるよう、吹き込んで、面倒を見た子楚を秦の君主に育てあげるとともに、自分自身が13歳の子楚の後見人として権力を手中にする。

 

 成人した子楚は王となり、その子が、政王となって、呂不韋を流刑し、遂に呂不韋は自殺に追い込まれる。

 

 政王は始皇帝となって、15年後、50歳で病死する。

 末子が後継者となるが、わずか三年後には、農民蜂起、陳勝呉広の乱、項羽劉邦の乱が重なり、項羽が首都を焼き払ったことによって滅亡する。

 

 そうした秦崩壊の革命の中で、項羽は配下の劉邦との分裂抗争に敗れて楚の再興に失敗、亡びてしまう。

 

 これを楚漢の戦いという。

 復興を目指す楚の項羽と漢の劉邦の抗争であるが、当初、項羽は連戦連勝するも、最終的に項羽の側近が人望の厚い劉邦について、項羽の軍を包囲する。

 この時、劉邦項羽軍を包囲する漢軍に楚の歌を歌わせて、項羽に自分を包囲しているのが、楚の人間なのか、と絶望的な気分に陥る。

 これが四面楚歌である。

劉邦には、反秦朝勢力の有能な人士の多くが味方についた。

 張良であり、韓信である。

 また、劉邦の青年時代から劉邦を支援してきた郷土の先輩格、嘯何や、後輩、曽参、樊かいらが、強い絆で劉邦を支えた。

 

 韓信韓信のまたくぐりで有名な大志の前に、小事の屈辱には忍耐する器量の持ち主だったが、劉邦に仕えて劉邦を漢の高祖にまで押し上げた後、その能力を恐れられて、劉邦に処刑されてしまう。

 この時、「狡兎死して走狗煮らる」と、自分は「敵を破ることには貢献したが、用済みになった途端、殺されるのだな」と自嘲する。

 

 韓信を殺すように仕向けたのは、劉邦の妻、呂后りょこうの深謀遠慮だった。

 

 この呂后の態度は、後に史書に記されて、唐の則天武后に対する批判勢力にとって、漢時代にも、でしゃばりな皇后がいたという引き合いにされた。

 

 劉邦の漢はいったん王莽によって簒奪されるが、光武帝が復興。

 しかし、宦官、官僚の対立、抗争が激化する中、黄巾の乱が勃発。漢は統治力を劣化させ、董卓とその配下の(赤兎馬に乗った)呂布が台頭する。

 こうした混乱した状勢に、宦官の孫養子の曹操、漢室の末裔、劉備、呉の孫堅袁紹袁術などによる三国志が幕をあける。

 孫堅の息子が孫策孫権

 孫策は26歳で戦死する。

 孫権の臣下が名将、周瑜であり、名参謀の魯粛孫権は71歳まで生きた。

 三国志演戯では、

曹操側の豪将軍、華雄を倒したのは、関羽だが、正史では、孫堅

 

 また、三国志演戯や派生物語では、劉備の腹心趙雲曹操の配下の

夏侯 惇の娘、夏侯 軽衣がロミオとジュリエットのように、恋仲であったりする。

 

 呂布モンゴル族混血の巨漢だったと言われる。

 劉備は漢室の末裔を自称したので有名だが、真実かどうかは不明。

 

 結局、劉備も、曹操も志半ばで病死し、息子の世代になって、曹操の配下の司馬氏がのっとってしまい、劉備の蜀は、諸葛孔明の病死以後は衰退し、司馬氏の魏に滅ぼされてしまう。

 司馬氏は魏を廃して、「晋」を建国して、孫権の死後衰退した呉を滅ぼす。

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謎の昏睡状態に陥った米国人の北朝鮮抑留者ワームビア氏

japan.hani.co.kr

北朝鮮に17カ月間抑留され、13日(現地時間)に昏睡状態で帰国した米国の大学生オットー・ワームビア氏(22)が、深刻な脳損傷を負っていることが明らかになった。「昏睡状態の帰還」により米国の対北朝鮮世論が悪化している中、米朝関係に及ぼす影響に対する展望は交錯している。

 

 ワームビア氏が入院したシンシナティ州立大学病院の神経科専門医のダニエル・カンター氏は15日、記者会見で「ワームビア氏の神経の状態は『覚醒しているが反応しない状態』と表現できる」と説明した。彼は「ワームビア氏は自然に目を開き瞬きする。しかし、言葉も、自分が意図する動作もできない」と明らかにした。バージニア州立大学の3年生だったワームビア氏は、昨年1月に観光で訪問した平壌(ピョンヤン)のヤンガクド・ホテルで政治宣伝物を盗んだ疑いで逮捕された。

 

 カンター医師はまた、昨年4月に北朝鮮で撮ったワームビア氏の脳の磁気共鳴画像(MRI)写真を渡されたとし、ワームビア氏が脳損傷を負い何週か過ぎた後にこの写真を撮ったものと見られると発表した。ワームビア氏が1年以上昏睡状態に陥っていたという意味だ。

 

 医療陣は「ワームビア氏が(北朝鮮が説明した)ボツリヌス中毒症にかかったという証拠は何も発見できなかった」と明らかにした。しかし、身体的虐待や骨折の痕跡も発見されなかったとし、頭蓋骨と首の骨も正常だと分かったと話した。医療陣はワームビア氏が「すべての部位にわたる広範囲な脳組織の喪失を負った」としながら、これは若い人が心停止により脳への酸素の供給が中断された時に発生しうる症状だが、原因は断定できないと説明した。好転する可能性についても言及しなかった。」以上、ハンギョレ新聞

 ハンギョレ新聞は、アメリカのトランプ政権は対話路線にかじを切った。

 その理由は、ムン・ジェイン大統領が対話重視だからだ、という。

 だが、この見方は間違いである。

 アメリカは今後も、北朝鮮に対して先制攻撃は不可能である。

 その理由は、ロシア、中国が北朝鮮への支援をやめないからである。

 その結果、朝鮮半島は、地勢的に、数十万人の韓国国民の北朝鮮による攻撃による死を免れず、その責任を問われなければならない謂れは米国に一切無い。

 したがって、北朝鮮のグァム、ハワイ攻撃の蓋然性が明白にならないかぎり、けっして、米国が北朝鮮を先制攻撃する選択肢はない。

 しかし、だからといって、米国は、北朝鮮が本音ではのどから手が出るほど欲しい、中国と同等の資本進出は、絶対にのまない。

 つまり、日本が左傾化して、北朝鮮に資本進出し、北朝鮮に中国と類似の経済発展をもたらす日の来るまで、北朝鮮はミサイルを日本海に向けて撃ち続けるしかない。

 もう一つの選択肢は、金正恩の死をきっかけにして起こる内戦が、韓国に対して中途半端に攻撃を暴発させた時に、韓国があわてふためいて、米国に助けを求めて、一気に、韓国国民の数万人規模の犠牲を覚悟しつつ北朝鮮の全軍事力を壊滅させる作戦に踏み切るということである。

 金正恩が健在であるかぎり、膠着状態は続くだろう。

 あとは、日本の左傾化という変数があるだけだ。

 

 

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群島の歴史社会学 石原俊

[書評]分断された南北は、もう一つの小笠原 : 文化 : ハンギョレ

ハンギョレ新聞のハン・ドン記者は以下のように、日本の戦後経済成長を非難する。

敗戦国日本は戦後、戦勝国アメリカの冷戦政策に便乗し「棚ぼた」のように到来した「特権的」経済成長を謳歌し安住して、周辺のアジア国家に対する歪んだ特権・選民意識の中で彼らを他者化して、人種主義・植民主義を煽り立てた。石原氏が指摘するように、ヨーロッパ外部の他者を恣意的に処分・捕獲することを「先占」と「海戦自由」の法理で正当化した国際法(万国公法)は、西欧諸国の侵略と搾取論理の延長だった。」

 

だが、それなら・・・・ 

 
工藤守 ·
ベトナム戦争でもうけた韓国はどうよ。
それでいい給料もらうようになったハンギョレの記者の立場はどうなの
 

 

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人権とマルクス主義

現代とマルクス主義マルクス主義の変種)

フランス革命が「キリスト教会と家族の紐帯」を革命達成のために破壊。

これに学んだレーニンが

「学校と家族の紐帯」を破壊

 

レーニンを継承し、日本共産党新左翼に影響を与えたフランス共産党ルイ・アルチュセール資本論を読む」の、「学校制度をイデオロギー装置と見る見方」

 

 これに基づく「子どもの権利」条約の「旧社会党」と日本共産党にの協力よる推進。

 (村山首相時代に批准)

 この「子どもの権利条約」の内容を盾に共産党員、社会党員の教師が、県立所沢高校の「反政府行動は正義」の妄想に駆られた生徒を、任侠道にチンピラを引き込むと同様、支持したのが、1998年所沢高校の君が代ボイコット事件

 1997年3月には、京都府立桂高校で、「制服反対」闘争を生徒がはじめて、これを日本共産党社会党系教師が支持。

 「学校の主人公は生徒です」と校則拒否運動を展開。

 1998年には、校則拒否、管理補導否定の風潮が強まり、栃木県黒磯北中学校の英語教師、越塚佳代子教諭が中学一年生にナイフで刺殺された。

 

子どもの権利条約」とは、

  • 「子どもには自由に自己の意見を表明する権利がある」というもの。

すなわち、各国の伝統教育に子どもが抗って、半ぐれ、デモに生きがいを求める者、反原発、反政府に闇雲に生きがいを見出す人間を育てて、社会秩序に犯罪とテロ、自殺が増加することを祈念する運動。

 

 こうして、日本では、「いじめ」が急増するが、校則と道徳否定の学校では増加は必然で、しかも、いじめが起きると学校は必ず「生命の大切さ」を訴える、というのを常套句として、決して「道徳、しつけ」が衰退している結果なので、道徳の教科書をしっかりと輪読させる、とは決して言わないし、言う頭も心もない。

 

 国連の二重性。米国の自由世界秩序維持のための国際軍事協力活動機能。

 ソ連共産主義残党による共産主義イデオロギープロパガンダ組織。

 

 日本人の頭に「人権」の文字ばかりが浮かび上がり、わが日本の国民の法に規定された国民の権利、という発想がすっかり消え失せた。

 たとえば、子どもの髪を勝手に切るのは、なさに国民の権利たる日本の刑法によって、拒絶できるのだが、「人権問題」と思ってしまう無知。

 

中国、北朝鮮に人権は欠けている。

国法自体が人間の基本権を政治犯に認めていないからだ。

ところが、日本、アメリカ、英国は典型的に弁護士を要求する権利など、国法が国民の権利を規定している。

 

 1776年のヴァジニア権利章典は、政治権力の存続を大前提に、権力の抑制を図ったものだが、これをフランス革命の「人権宣言」は「権力それ自体を全否定して、「人権の最大化を図る新規の権力樹立」を目指した。

 

 これを日本でいうならば、「マイノリティの完全平等の実現」すなわち、非国籍だろうが、二重国籍だろうが、違う国籍だろうが、すべて国政から地方まで、参政権生活保護国民健康保険、管理職公務員になる権利、国民年金加入権、すべて同等にするべし、という人権運動である。

 人は平等であり、平等は正義だというのが、「人権」だが、国民の権利とは、「国籍」を条件とするから、「人権」の強調は、究極には、ある国家内部のすべての国籍条件の区別を取り払え、という主張に他ならない。

 

 ルソーの「人間不平等起源論」は、「貧乏人は気の毒だから、いたわろう」というものではない。「各国の宗教、歴史、慣習、伝統」が「貧困と富裕の差」を生んだ。伝統も慣習も道徳、しきたり、マナー、の無い時代は皆平等だったのだから、。伝統も慣習も道徳、しきたり、マナー、を破壊してしまえ、そうすれば、平等は実現できる、というものである。

 

 そこで、福島瑞穂の「離婚を簡単にできるようにしよう」「不倫を自由にやろう」

 「夫婦別姓にしよう」

上野千鶴子の男女の相違は社会的に形成されたもので、本来は差異がないのだから、その自然の姿に戻すために、「おひとりさまになろう」「ひな祭りも端午の節句もやめよう」という主張になる。

 辛淑玉のホモ・ゲイ・レズ・子どものない家庭を祝福して、子どものない家庭を日本に増やそう論になる。

 

 フランス革命マルクス主義における「人権」のある人間は、「労働者階級」と「労働者階級の擁護者」だけで、他の人間に人権はない。

 その具体例が、次の諸例である。

  • 日本共産党におけるスパイの処刑(反革命のスパイには、人権がない)
  • 労働者階級ではない、革命の参加者としてのハウスキーパーには、人権がない。
  • 中核派にとって、警察官、の家族には、人権がない。
  • 革マル派にとって、労働者は殺害対象になってはならないが、学生に人権はないから、殺してもよい
  • 人民革命に反抗するチベット・モンゴル・ウィグル人の反体制活動家に人権はない。
  • 沖縄の基地反対活動家にとって、防衛施設庁の公務員に人権はない。
  • 共産党社民党中核派にとって、放射能を恐怖して地域から出ようとしない福島県民には、人権がない。
  • 政治的に過激な在日朝鮮人には、自分たちの思うように動かない公務員の命という人権は存在しない。

昭和22年6月23日、端山豊蔵関税課長が、どぶろく密造摘発公務を恨まれて、朝鮮人8人に殴る蹴るの激しい集団暴行を受けて、殺害された。

 もし、彼ら在日朝鮮人8名に人権意識があれば、一人の人間である公務員として勤務した端山豊蔵氏の人生を奪い、家族の人生を奪うことはなかったろう。

 

 この実行犯は傷害致死でたった懲役7年に過ぎない刑に服した。

  • 1971年「渋谷暴動事件」において、中核派の大阪正明は、21歳の中村恒夫巡査長の残り多い生涯の人権のすべてを奪いつくしたのである。

彼ら中核派という革命集団は21歳にしか過ぎない公務員、中村恒夫巡査長の命という人権をなんら法の裁きも受けさせず、つまり、法的罪を問うことなく、人権を一切考慮せずに、鉄パイプで殴打したうえ、火炎瓶を投げつけて、全身火だるまにして焼き殺したのであるが、自分自身はその後、革命組織から、金銭的保護を受けて、67歳まで、春夏秋冬を謳歌し、日本の文明的な住居と食事を堪能して生き延びたのである。

  • 政敵には、一切「人権」はないから、狂暴なまでに、追い詰めるだけ追い詰め、自殺に追い込む。この実例が、世羅高校の石川校長自殺事件である。
  • マルクス主義者にとって、労働者に人権はあるが、労働組合員ではない退職者「生活者」やその娘に人権は無きに等しいので、拉致被害者の存在を長年にわたって否定し続け、事実が明るみになってもなお、朝鮮の人々は強制連行されたのだから、それに比べればたいした問題ではないと「人権」を無視したのは、「反差別」の辛淑玉だった。
  • 香山りかという精神科医は、反原発に同意しない者に人権はない、とばかりに「再稼働に賛成する者は、精神科医として申し上げますが、精神に異常をきたいしています」と異なる意見を持つ者を精神異常と決めつけた。

 仮に香山りかが時の権力者と組んだら、反対派は皆、精神異常判定されて収容所に入れられる事は確実であろう。

(安部首相に対して)「お前は人間じゃない」発言(これも人権無視ではないのか)

  • あさま山荘事件とは、人権派マルクス主義者がただの生活者である小さな保養施設の管理人の女性を10日にもわたって、人質にして死の淵に立たせた人権無視の犯罪である。罪のないこの女性を救出しようとして、自ら身代わりを申し出た一般人を、私服警察官だと誤認して、頭部に弾丸を撃ち込んで死亡させた人権無視の犯罪でもある。彼らが一般人(非労働組合員であり、デモ活動家でもない普通の生活人)の人権を無視する気がないなら、自ら官憲につかまって、まず、無関係の人間の人権を最優先にしたことであろうが、そうはせず、人権をないがしろにして、普通の人を自らの逃亡のために、人質に取ったのである。人権意識が高いはずがないではないか。

 

 他者のいのちを人質、拘束行為によって、人権を棄損しておいて、当時犯人の加藤倫則みちのりは、警察が大きな鉄球を山荘の外壁にぶつけて破壊して強硬突入して、人質を救出しようとしたところ、なんと、警察に対して「卑怯だよ、あんなの」と言っており、これを40年以上経っても、本人が悪びれず、発言しているのである。つまり、単なる保養所の管理人を自分たち政治犯の逃亡のために拘束した人権侵害と卑劣非道性をまったく気が付いていない非道徳性なのである。

 

 人権派朝日新聞毎日新聞山崎朋子が、「地球市民」「世界市民」を強調するのは、まことに筋が通っている。彼らは国家未成の原始時代が「人権のある平等」の理想だから、国家なき、「地球」「世界」の市民を「人権のある無国家」社会と信じているのである。

 

 けだし、彼ら「地球市民」が世界の危険地帯に放浪しては、イスラム過激派のふところに飛び込んでは、時に処刑されたがるのも、「地球市民」の妄念ゆえである。

 

 また、韓国の反大統領デモや従軍慰安婦デモに日本の労働組合や、民主党国会議員が参加したがるのも、逆に韓国民主労総の組合員が沖縄基地闘争に参加したがるのも、「国家消滅後の世界と国家未成原始」にルソーの自然状態の平等を妄想して地球市民になりたがっているからだ。

 

 だが、実際には、国家未成の状態、国家死滅の社会とは、法のない状態、道徳のない状態に他ならない。

 というのも、社会が形成されない前の人間に、道徳はなく、殺し合いと奪い合いしかないからである。だからこそ、ルソーは、人類は出合頭に性交した、と言った。恥も道徳もないその状態で平等だった、とルソーは言ったのである。

 そこに民族の歴史の思い出も、知恵の思い出もない。個別の獣性の生存あっての平等があるだけだ。

 

 そして、地球市民世界市民の人権とは、「民族史」「国柄」「慣習」「お祭り」「祭祀」「民族文化」の否定なくして「地球市民」はありえないのは、当然だろう。だからこそ、彼ら革命の徒は「国家」「国旗」を否定したがるのである。

 

 

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日本人が直視すべき戦前とは、軍国主義ではない。

 占領時代を直視するのではなく、戦前とは、京大、東大の大半がマルクス主義者で、その薫陶を受けた者が、官僚、マスメディアの幹部であり、京大、東大のマルクス主義者が翻訳出版した社会主義理論書を陸軍の幹部、右翼が読んで社会主義をもくろんでいたことを直視すべき。  戦後は、GHQの強権を利用して、GHQの思惑を超えるほどの国家解体思想を民法、ほか多くの個別法に注入したのが、東大のマルクス主義者たち。  この事実を見誤った米国の「日本軍国主義観」を利用して、社会党共産党シンパのマスコミがいっせいに、軍国主義を反省しようと言って、「社会主義かぶれ」が英米資本主義を敵視した戦前思想の根源だという真実を隠蔽した。

 戦前とは、軍国主義ではなく、「愛国」と「道徳」重視の日本であり、正常に国防重視の国ではあったが、が、「反道徳」の「社会主義」を道徳と思い込んで自壊していこうとしたのが、戦前から戦中への日本の姿であった。

 

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