司馬遷は、人間を怨念によって動く者としてとらえた。
周王十代の王が、暴虐であった。
臣下たちはクーデターを起こし、王は逃亡し、大臣たちだけで政治を行って、年号を「共和」とした。
周の十二代の王は愛人の褒姒(ほうじ)を溺愛した。
褒姒(ほうじ)を笑わせるために諸侯を非常呼集して、慌てて駆けつける諸侯を見て、褒姒(ほうじ)が笑うのを喜んだ。
王は異民族に殺された。
覇とは、武力による制圧を言い、王とは良き統治による統治によるという発想が生まれた。
「書経」に(天子は)兆民これに頼る とあり、
「詩経」に(諸侯には)万民これに従う とある。